絵画論その24 全体絵画の説明の続き

はじめに
前々回に説明絵画の話をしました。これは「もの」に注目して描く絵だと説明しました。「もの」とは何か。それは具体的に形のある一つのかたまりのことでした。(英語で言うobject?)

それでは形がうつろな場合はどうでしょうか。例えば霧や虹、雲など、これらも「もの」なのでしょうか。絵画に限った話かもしれませんが、現象に注目して、それを直接描こうとすると、大抵「もの」になってしまいます。(「もの」として扱ってしまう。)

空を見上げ、そこに虹があれば、、キャンバスに「ハイ!虹!」と七色を塗る。草原に木々を描いて、霧を加えたければ、「ハイ!霧が出てます!白いです!」と絵の具を塗る…。このとき、「虹」も「霧」も頭の中で「木」や「山々」と同じ扱いになっています。つまり、「もの」であると解釈しています。

この様に説明絵画は、何でも「図の目」(光景を「もの」の集まりとしてとらえる見方。前回の絵画論参照)でとらえ、頭の中で固定し、キャンバスに加えて描いていく、という傾向があります。

前回はそれに対する「全体絵画」の解説をしました。これは「もの以外」を描き、「もの」が存在するようにして描いた絵でした。この絵の特徴に「描いた形跡が目に入らない」「目立たない」ということがあります。気配を消す、省略、引き算という発想で、「図の目」の反対の「地の目」で描きます。(ここまでが復習です。)

「もの」はともかく、「もの以外」が何かがわかりづらいと思います。そこで、今回は色々と例を挙げ、「もの以外」を見ていきましょう。

▼取り除く
浮世絵の版画は細い髪の毛一本一本が流れるような美しい線で表されています。よく見ると、その細い毛は、間を削って(彫って)表現されています。極端な話、もし下図左のように三本の細い毛だけ出そうとするならば、その線以外の全てを取り去る作業をしなければなりません。面倒くさいからといって少しでも荒く、彫り残しがあるとそこが別の何かに見えてしまいます。


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立体造形を扱う彫刻においても、地の目という発想は現れていると思います。仏師が木片から仏像を彫りだすときに、「私が像を作っているのではなく、木片の不要な部分を取り除いていて、真実の姿を残しているだけだ。」のようなことを話しているのを聞いたことがありませんか?実際、彫刻家は像を残すように彫っています。よく考えると、像そのものはいじってなく、全て像以外をノミや刃物で直接触っています。

何かを表現するためにそれ以外すべてを取り除く。全体絵画の最も単純な例と言えるでしょう。

▼月とヘッドライト
白い素材を使って満月が夜空に浮かぶ光景を描く場合を考えます。全体的に暗く塗り、明るい月は残すことと思います。出来上がった絵を見ると、月に意識が向き、実際に作業した暗い部分の方には意識が向かわないことでしょう。

次に、この満月の夜にヘッドライトを付けた車を加える場合を考えます。ヘッドライトを月よりも明るくしたい場合、どうしたらよいでしょうか。白色をこれ以上明るくすることはできません。そのため明るい白色をヘッドライトに譲り、月の明るさの方を抑えるようにしなければなりません。

さらに都会のビル群の明かりが後ろにある場合、それらの光量をどうするのかという問題も出来てます。このようい、明るいものが次々と加わることで、「それ以外の所」に手を加える必要が出てきます。一か所を整えるためにそれ以外の場所に手を加える、これも全体絵画の考えの例となっています。


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▼方向性
次の絵は十八世紀フランスの画家シャルダンの静物画です。


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描かれているものが力強く、存在感にあふれていながら、落ち着きのある素晴らしい絵です。絵の中にはぶどうやざくろ、ナイフ、水差しなどがあります。私たちが同じ光景を描くとき、どこに意識が向くでしょうか。この絵に現れている画家の意識とそれには大きな違いがあると思います。(色や形の正確さなど技術的なことは当り前ですが、それだけではありません。)

作者の意識はいろいろあるでしょうが、ここでは、個々の「もの」が画面全体の空間を制している点に注目しましょう。「もの」が空間を制するとは何か。まず、ひとつの「もの」の形と向きが、オーラのように周りに影響を与えていると考えます。


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