セピア色の記憶<昭和30年代> その(1)

還暦になったせいか近頃昔のことをよく思い出します。

絵を描いてる時や、車を運転してる時、小さな記憶のかけらが

ひょっこりと顔を出します。他の人にとってはどうでもよい全く

個人的で、ただ自分の記憶としてだけある事柄。

本当にそんなことがあったのだろうか?

夢や空想がいつの間にか現実の事として思い込んでいるのかも

しれない。そんな記憶のガラクタを少しづつでも

書き留めておきたいと思いはじめました。

幸い今はパソコンがあり、気軽に書く場所が出来きました。

そんなわけで前置きが長くなりましたが、私の子供の頃、

昭和30年代の東京の下町、芝公園や浜松町、芝浦付近。

映画 「三丁目の夕日」の舞台そのままの記憶を

書いていきたいと思います。


又、カメラが趣味だった父が撮った昔の写真が数多く手元に

あります。必ずしも話とリンクしないかもしれませんが、

当時の雰囲気が伝わればと考え、少しづつ紹介したいと

思います。



ラジヲドラマ「パパ行ってらっしゃい」 


私の最初の記憶は何だろう。まず頭に浮かんだのは…

朝の布団の中で聴いていたラジヲからの声。

♪「時計がね 鳴りました キーたん何時か分かるかな?」
 「わかりますよ えーとね えーとさ わかんない」
 「ほらほら パパのおーでかけよ」
 「パパのかばん 持ってあげる」
 「パパいってらしゃい パパ行ってらっ しゃーい」

今でも唄える(と言うことは、記憶にないがよっぽど

毎日聞いていたのだろう)このホームドラマの主題歌、

そして放送最後の出演者紹介。

…キータン、キータンのママ、ゴンちゃん,○、○…中村メイコ

…キータンのパパ、○…沼田曜一 …

ああ、中村メイコという人が一人で何役もやってるんだ、

すごいなぁ~ といつも感心していた気がする。

(昭和30年から33年ぐらいだろうか?
キータンはチータンかもしれない)


画像

東京芝土手跡町の実家。昭和38年当時の写真
ボタン卸業(2012年の今でも営業しています)をしていた。
右に写っているお倉は、東京大空襲にも焼けず
あまり頑丈なので(厚さ60センチのレンガの壁)
逆に壊すことも出来ないまま、(周りは囲ってますが)
今でも建っています。

 

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この記事へのコメント

せっちゃん
2012年01月21日 22:23
昭和33年かな
 中学一年生、足立区で幼稚園の先生していた姉と
 二人暮ししていました。
 下町の物騒な地域で、いつもスモッグがたち込めてい
 ました。電車から見えるオバケ煙突(4本)を思い出
 します。
マミケン
2012年01月23日 12:33
なるほど、父上の趣味が写真とはハイカラだなぁ・・・あの時代の写真趣味はけっこうお金がかかったはずだよなぁ・・・さすがM本氏の父上だなぁ・・・
勇介
2012年02月05日 00:13
こんばんは。
当時の写真見てビックリしてます!
入り口が今と同じなので笑いました。
たきぽん。
2014年01月09日 11:23
なつかし~私の生きてきた証がどんどんなくなる。幼稚園小学校、中学校、しんかねのコロッケ、藤のの団子、実家も。何もない。宮城に嫁いで33年、故郷が東京誇らしいけどさみしい限り。思い出はネットの中で見つけるしかないのだ。懐かしさをありがとう。また、たずねます。。
しんかねコロッケって懐かしいな~
2019年09月02日 12:54
しんかねコロッケって懐かしいな~こっぺ
2019年09月02日 12:55
しんかねコロッケって懐かしいな~こっぺパンに挟んで食べた
2019年09月02日 12:56
しんかねコロッケって懐かしいな~こっぺパンに挟んで食べたね。世界貿易センタービルが建っていく様子が今も写真に残ってる
2019年09月02日 13:00

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