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zoom RSS 絵画論その27 明るさと目の自動機能

<<   作成日時 : 2015/04/29 18:45   >>

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▼目の機能を意識する
いきなりですが、皆さんは学生時代、絵の具で絵を描いていて「色が足りなくなった」と思ったことはないでしょうか。例えば植物が多い茂っているところや、単色の建物は、同じ色の部分がたくさんあって、少しずつ色を変えても足りなくなってくるものです。また、立体感のある光景をよく観察して描いても、全体がのっぺりした絵になることはないでしょうか。これらの問題の背景には共通した点があります。それは目の自動補正の存在です。

思い出してほしいことがあります。明るい部屋から暗い部屋に移動した場合、最初は真っ暗で見えませんが、だんだんと何があるのか分かるようになります。これをよく「(暗闇に)目が慣れた」といいます。このとき、目の瞳孔が動き、大きくなって明るさをたくさん集めるようになっています。逆に、明るいところに急に出た場合も目がくらみますが、そのうち分かるようになります。(こちらのほうが慣れる時間が早いようです。)このときは逆に目の瞳孔が小さくなって対応しています。このように、人の目は、明るさに応じて、ものが一番見えやすくなるように、自動的に変化しています。


周囲全体の明るさが変化する場合、瞳孔は変化しました。それでは、じっとして環境の明るさが変化しない場合、このような現象は起こらないのでしょうか。実は起こります。周囲の明るさが変化しなくても、自分が見る部分が変われば、瞳孔は微妙に変化します。例えば同じ室内であっても、明るいものを見れば瞳孔が狭まり、暗いところを見れば瞳孔が広がります。そして重要なことは、一見するとほとんど変わらないような明るさの違いでも、目は細かく対応しているということです。この瞳孔の自動補正より、私たちはものをクリアに見ることができているのです。

普段、自分の瞳孔の動きを意識する必要はありません。しかし、絵を描くときはこのことを意識したほうがよいのです。冒頭の色が足りなくなったり全体がのっぺりする問題は、この瞳孔の機能を意識していないために起こっていたのです。


▼原因
色が足りなくなる、全体がのっぺりというのは、どちらも明暗のメリハリが利いていないという共通点があります。つまり、絵を始めたばかりの人は、景色には明るいところと暗いところがあるにもかかわらず、どこも同じくらいの明るさで描いてしまう、という特徴があるのです。

絵を習いたての方は、景色を観察する場合、全体を見ず、非常に狭い範囲に意識を向けてしまいます。すると、さきほど説明したとおり、瞳孔がどの部分も同じくらいの明るさに修正するため、同じ明るさのように見えるのです。そして、その見えた明るさのとおりに描いてしまうのです。明暗のメリハリが無くなる理由が分かったでしょうか。

▼無意識
大切なことは、自動的に目が調節を行っている、ということです。つまり無意識の出来事なのです。目から入ってくる情報を、無意識に脳が調整しているのです。このことを知らないと、いろいろな場所を眺めたときに、どこも同じくらいの明るさだと感じとってしまいます。しかし、実際は違うのです。本当はもっと明るかったり、暗かったりする可能性があるのです。

意識してもなかなか気付けるものではありませんし、具体的に絵画に反映させるのは難しいかもしれません。しかし、この瞳孔の話に限らず、無意識に自分の体が行っていること意識し、気を配ることが絵画に幅を持たせる重要な方法だと思います。

▼意識されにくい理由
これらの話は気付いていない方が多いようです。その理由の一つに、「色」があると思われます。明るさを「白黒」と表現するように、今回の明暗の話は単色によって表現できます。というよりも、立体の形状を認識し表現する「だけ」なら、白黒だけでよいと私は思っています。そうなると、色は「おまけ」くらいの感覚になります。

しかし実際に絵を描くときは、色とりどりの絵の具が使われます。すると、明暗や立体の形状を認識するという意識がなくなったりごまかされたりします。色の存在は景色を観察するときに目立ちやすく、ビギナーは明暗よりも優先してしまいます。


▼図による説明
これらの瞳孔の収縮はなぜ起こるのでしょうか。詳しいことは私は知りませんが、単純に考えて、一度に認識できる明るさの幅が狭いからだろうと思われます。この「明暗の幅:について、図を使って説明してみます。
*正確な数字や比率は分からないので、私の大体の想像です。

まず、人の認識できる光の明るさの範囲全体がたくさんあったとしても、瞳孔を調節をせずに一度に分かる範囲はこれくらいでしょう。

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そして、上の例で話したように、明るいところや暗いところに移動するたびに、その範囲を動かしていると思われます。
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つまりわれわれが普段景色を見るときは、明るさごとに調節して見た光景を張り合わせて全体の景色を把握しているのです。

しかし、一枚の絵の明るさは、狭い範囲に収まっています。(これについては私自身考えがまとまっていないのですが、そういうことにしておきます。)そのため、景色に含まれている広い明るさの幅を、絵で描くことができる狭い範囲に上手に収めることが必要となります。
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▼上手くいかない例
始めに話したように、普通の方は、景色を部分的に眺めてしまいます。すると当然、目がその部分に合わせた見方をしてしまいます。
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以前立体絵画のところで、明るさを大きく三段階に分けてものを観察するとよいとお話しました。それは今回の話と対応しています。つまり景色の明るさを三段階に分けて捉えると都合がよいのです。しかし明るい部分も暗い部分も、自動的に中間の部分と同じように認識してしまいます。イメージとしてこのような感じになる方が多いです。
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三つのリンゴが描かれた二つの絵があります。上は明るさが違うはずなのに、どれも同じくらいの明るさのりんごになっています。(「同じ明るさ」というより、「おかしな明るさ」になっている。)下は三つともその位置に収まるような明るさになっています。りんごを個別に見てしまうと、上のようになってしまいます。下のような明るさの違いを意識できれば、全体のバランスが取れます。

▼精度
人工的に作られたものは、一面が「同じ塗料」であるから同じ色に塗ってしまわれる方が多いです。しかし立体的形状をしていてそのことが見て分かるということは、逆に考えれば、なんらかの明暗差がそこにあるはずなのです。(そうでなければ平坦なものがあるように見えるはずだから。)
例え色の違いがわからなくても、わからないくらいの差があると認め、塗り方を工夫すると上手くいくかもしれません。上の説明では大雑把な分類の説明になりましたが、リアルな絵を突き詰めるとこういう精度まで求められるのです。


▼最後に
今回お話した明暗を見分ける機能は、普通の人が持っている視覚能力に対し、何か新しく付け加えられる特殊技能であるかのように思ってしまう人もいるかもしれません。しかし実際は逆であると私は思っています。私たちの周りにある、生(なま)の情報に対し、目が遠近や明暗を自動で調節し、クリアになった映像を意味あるものとして処理して、ようやく私たちが普段「見ている」映像になるのだと思います。つまり、今私たちが見ている景色は、人間が処理をした後の情報なのです。そして、絵画を描くときにほしい明暗を意識する能力は、この処理の中にあるのです。

原理的には、何の処理もしていないそのままの情報を捉えることができれば、より現実に近い絵が描けるようになることになります。ここをなんとか意識することによって、より「生」に近い映像を知ることが出来るようになるのです。

仏教でもありのままを捕らえることの難しさとその重要性を説いています。「正覚」という言葉はこれと近い概念ではないかと思っています。私は視覚においてこれに気付きましたが、これを五感全部と思考・言葉遣いにも広げるのが仏教の修行であるような気がします。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
解説のイラストがすごく分かりやすいです。
マミケン
2015/05/19 09:37
いつも楽しく読ませていただいております。
美しい配色についても論じてもらえませんでしょうか。
るるる
2016/02/09 04:09

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