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zoom RSS 絵画論その20の@ 「絵」という言葉による混乱 前篇

<<   作成日時 : 2013/05/21 20:22   >>

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絵に関して多くの人が陥っている混乱について、私なりの話をします。

▼いろいろな絵
いきなりですが、あなたの周りにはどんな絵がありますか?美術館に飾ってあるようなヨーロッパの名画。子供のいたずら描き。祖母の習いごとの絵手紙。学校の風景写生。新聞の風刺画と四コマ漫画。テレビでよく見る、路上パフォーマンスで描く立体的に浮かび上がる絵。絵画教室で習う色鉛筆の猫の絵。壁にペンキをぶつけて作る絵…。若い子にとってはインターネット上のキャラクターイラストが最も身近な「絵」でしょう。

それらの製作動機も様々あります。とりあえず描こう!何かを描こう!あれを描こう!そっくりに描こう!暇つぶしに描こう!油絵を描こう!上手くなるために練習で描こう!目立つために描こう!ほかにもいろいろあります。

日常で、予想以上に色々な「絵」を見ていることに気付くでしょう。ところで、これら上に挙げたものは、実際には異なる製作物ですが、全て同じく「絵」と言われています。

これらは本当に同じだと考えていいのでしょうか。

▼現実にある問題
どうしてこんなことを言い出したのか。考えてもらえば分かるように、上に挙げた様々な「絵」は色々な面で違いがあります。ところが、このことは皆さんにとっていつも隠れてしまう(忘れてしまう)ことのようで、あまり強く認識していないように感じます。

そのため、普段絵画の話をするとき、いろいろな表現、技術、があるにもかかわらず、すべて同じ「絵を描く」という言葉でくくってしまう傾向があります。例えば、私がある作画や見方を話をしたとき、それは特定の絵だけに当てはまることなのに、全ての絵において通じることと勘違いすることが多いのです。これは絵を見る(評価する)時にもよく起こります。

絵の指導の違い

また、恐ろしいことに、皆さんが思い思いに仕上げた絵は、展覧会で同じように横に並べられます。「絵」としてはどれも同じに見えますが、出来上がったものは決して同じではありません。これを比較したり評価するのは本当は大変です。

そして一番の問題は、絵を描く人もこのことを軽視し、いろいろと混同してしまうことです。実際に、絵を描き始めた人は、境界がぼやけ、互いを行ったりきたりして混乱しています。こういう人は意外に多くいます。

具体的に想定してみましょう。ある中年の方がもともと絵に興味があり、実際に油絵を始めたとします。始めは上手くいくか心配でしたが、思ったよりも簡単で、自分なりに楽しく描けて満足です。町の絵画展などにも出品し、絵画生活は順調です。

ところが、他の絵と並べて見ているうちに自分の絵に満足できなくなりました。「私もあのような風景画を描いてみたい」このような欲求が生まれてきました。

実際に風景画を描いてみました。机の上で小さな花を描いている時とは違い、山や川が上手く描けません。特定の目的にこだわりだした結果、絵を描くことがだんだんつらくなってきました。しばらく続けていましたか、やがて楽しくなくなってやめてしまいました。

以上は私が適当に作った話ですが、これに近いことは日本中(世界中?)で起こっているはずです。


▼空虚な指示
同じことですが、少し別の視点から話してみます。

現在の絵の世界では「絵は描くことが大事だ。だから何も難しいことを考えず楽しんで描きましょう」という考え方があります。どのように描いても絵であるのならば、こんなに簡単な話はありません。絵は自由そのものということになります。

ところが一方で、実際に自分で絵を描いてみると「絵を描くことはとてつもなく難しい」ということに気付きます。
いくら自由にしていいとはいえ、周りにある立派な絵のように描きたくなるし、そこまでいかなくても、少しでも近付きたいと思ってしまいます。そうして、思うとおりに描けなかった自分の絵に対し、本当にこれでいいのだろうかと考え込んでしまいます。

これら2つの考えは矛盾しているように思えます。合わせると、「絵は誰にでも描けるけど難しい。難しく見えるけど何でもありだから実は簡単」となります。これではまるで禅問答のようです。これも先に挙げた混乱の一部です。絵に関わる多くの人(プロアマ傍観者問わず)を非常に非常に悩ませています。



▼2種類の絵描き
これらの混乱・矛盾をどう解釈すればいいのでしょうか。実は、上手く認識する方法があります。「絵」を、「描く人の意識」で大きく2つに分けるのです。その2つとは、「絵は手段。それを描く行為が目的」と、「描くことは手段。作品が目的」です。これを意識できるようになれば、混乱はかなり解消されます。

一応注意しておきますが、この2種類は重なっている部分がありますし、どちらにもあてはまらないこともあります。
一種の方便です。「大雑把にこういう風に分けれるかもしれない。」ととらえて下さい。

まず「絵は手段。それを描く行為が目的」から説明します。

これはわかりやすく言えば、民放のバラエティで目にするような絵です。例えば、路上に立体的な絵を描いたりわずか1分以内に幻想的で綺麗な絵を描くショーがあります。「ショー」と言ってしまうように、これらはどちらかというと絵ではなく、絵を描く行為を重点的に見せています。制限された中で見事な絵を仕上げる、その行為に見る人が感動するのです。こういう絵は「描く行為が目的」となります。

もう一方は「描くことは手段。作品が目的」です。

こちらは説明は難しいのですが、描く人は、描く行為はもちろん、出来上がった絵そのものにも価値を見出し、
表現方法の追求、可能性により喜びを感じます。また自分が描いた「絵」で世間に勝負する人もいます。作品主体のアカデミックな絵の世界も含みます。(→「絵画論19 デッサンを語ることについて」の下のほうを参照。)

これを描く人は作品を仕上げるための努力や工夫が苦になりません。また、その過程は本人にとってどうでもいいので、他人は関係ありません。最終的に出来たものだけで評価してほしい、という感じです。だからこれらは「作品が目的」の絵となります。

詳しくは下図を見て下さい。

意識による絵の違い

以下この2つのグループをイラスト中の「左」と「右」という言い方で示します。

2つを対比してみましょう。実はどちらも「絵を描くことそのものに楽しみを持っている」という点で一致しています。ところが、左のグループではその描くことが手段であると同時に目的となっています。描くだけで終着駅に着く感じがあります。右のグループでは描くことを通じて自分の絵を高める行為をします。逆に言えば、絵がより良い作品になるように、描くのです。

字面だけ見ると同じことを言ってるようで、わけがわからないかもしれません。目的と手段が(だいたい)逆になっています。注意して読んでみて下さい。

例えば、ある人にとっての「絵」は自分がリラックスするためのもの、または単なる時間つぶし、指を動かすボケ防止、仲間とおしゃべりするためなど、付随的なものとして使われます。また、ある人にとっての「絵」は、美術学校で学び、周りと競争し、技術を磨きながら自分の内部を表現し、さらに仕事として売るために描くものになります。

このように、描いた絵そのものよりも、自分の精神・肉体生活の潤いの方に重点が置かれる場合と何かを描きあらわしたい、残したいと考え練習を続けて描く絵があります。

「とりあえず描いた絵」は「そっくりに描こうとした絵」にはなりません。とりあえず描いておきながらそっくりに描こうと思うと絵を描くことが悩みになります。そっくりに描こうと思ったならば、そのような見方や描き方を練習しなければ決して出来ません。当たり前だと思われるかもしれませんが、意外と意識されていないことです。これが絵に対すつ混乱のもとで、このことをしっかり認識しないと以後何十年やってもうまくいきません。

この分類に照らし合わしてみると、先程の矛盾の言葉の意味が分かってきます。左のグループでは何でもありの絵で、楽しく描くことを重視しています。右のグループでは絵を描くことの難しさを痛感しています。この2つの集団を行き来してしまうこと、同一視してしまうことが矛盾を感じる理由になります。

正直、言葉で説明するのがつらいです。なんとな〜く違いをイメージできませんか?これらは別のものとして考えるといろいろと理解が深まります。


▼2つ姿勢の違い
上に挙げた2種類の姿勢、またそれによる絵は全く違うものになります。どれくらい違うのか、想像していただくために、いきなりですが「食べ物」で例えてみます。

まず、世の中の人は上の図の違いをどの程度の差だと思っているのか。同じ「絵」ということで、ハンバーグとカレーくらいの差しかないと思っているのではないでしょうか。実際にはもっと差があります。私はポッキーと酢豚定食ぐらいの違いがあると思います。

酢豚とポッキーの違い

例えば、1人暮らしを始めた学生が料理を始め、おいしいカレーを作ることに成功したとします。その経験を生かし、次にハンバーグに挑戦する。料理の流れとしてこれは自然です。しかし酢豚定食を作っていた人が、次にいきなりポッキーを作りたいと言いだしたらどう思いますか。酢豚定食を作るために学んできた技術は何一つ関係ないのはわかるでしょう。ポッキーを作りたいなら(どうやって作るか知りませんが)、そのために0から勉強が必要です。逆も同じです。ポッキーを作ってる人(会社?)がいきなりおいしい酢豚定食に挑戦、といってもそれまで培ってきたポッキーの技術はほとんど参考にもなりません。ポッキーと酢豚定食の共通点を探して見て下さい。「食べ物」くらいしかないでしょう?何もかも違います。

(ポッキーや酢豚というセレクトに意味はありません。どちらがどちらに対応している、というつもりもありません。「本当に全然違う」ということを主張するために持ち出しただけです。)

よくわからない例えだったかもしれませんが、こういうことが絵にも起こっています。上の左右の「絵」もそれくらい違います。共通点はどちらも「絵」である、ということくらいです。

「私は食べ物が作れる」という人はあまりいません。しかし「自分は絵を描いている」、あるいは「あの人は絵を描いている」と思っている人はたくさんいます。つまり、そういうことです。あっちの絵が描けたからといってこっちの絵も同じように描ける、というものではないのです。同じように並んでいる絵も、描くための基準は多種多様です。

→後編に続く

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
「絵は楽しんで描けたら最高」と思ってます。「でもプロとして描く場合は、全然違ってくる」とも、思っていますが・・・
マミケン
2013/05/29 13:41

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