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zoom RSS 絵画論18 デッサンは肉体改造!?

<<   作成日時 : 2012/09/19 23:04   >>

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絵に携わるほとんどの人が気になっているかもしれない「デッサン」の存在。それについて私が思っていることを話してみます。

ただし、現実的にかなり複雑な問題を、無理矢理単純化して話しています。

・(好む好まないに関わらず)絵を描く人全員に関係してくる
・素人にとってとても悩ましくデリケートな問題
・かなり特殊なので実際にやったことがある人でないと分かり辛い
・他にもいろいろややこしいことがある

ジャングルの中にいきなり道路を通したようなものです。本当に大変な世界の話だということを注意して下さい。また、再度確認しておきますが、芸術性とは全く関係ない、技術的な説明となります。

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▼デッサンという言葉が指すこと
絵画の世界には「デッサン」というものがあります。ただし、一口に「デッサン」と言っても、大きく2通りの意味があると思います。

@下書き観察として

まず、少しでも上手く描きたいという時、またはそっくりそのまま写したい時、覚書やメモ的な習作として行うデッサンがあります。

例えばネコを描く場合、真っ白な紙にいきなり描くことは勇気がいります。あらかじめ実際のネコをよく見て、どんな格好でどの角度か描くのか、耳や目はどんな形をしているのかなどを自分なりに確めたほうがより良いものができそうです。こうすることで「目と目の間に模様がある」とか、「頭のどこに耳が付いているのか」とか細かいことが見えてきます。

人は意識してみないと物は見えません。しっかりとした形になってくれないのです。絵の先生が描く前に「デッサンしてから描く方がいいです」というのはこの本番前の、下準備としてのデッサンです。(デッサンよりもスケッチと言う方がピンとくるかもしれません。)

A表現の基礎技術として

次に、美大の試験で行われるような「デッサン」があります。説明が難しいので辞書に頼ります。
【素描】
1 黒・セピアなどの単色の線で物の形象を表し、また陰影をつけた絵。(後略)
goo辞書より

素描=デッサンです。(日本語かフランス語かの違い。)少しニュアンスは変わりますがドローイングやスケッチという言葉も同様です。

美大性のイメージとして、石膏像をにらみながら鉛筆で絵を描いている姿があるでしょう。あれが「デッサン」です。デッサンというと一般的にはAのほうが注目が高いかと思われます。これから話すことも主にAのほうに関することです。

▼どんなことをするのか
具体的にデッサンとは何をすることのでしょうか。一言で言えば、
「ひたすらよく見て、とにかく何枚も何枚も何枚も描くこと」
となります。
デッサンには達成目標がある
いわゆる「絵」は各人が好き勝手に書いていいものです。しかしデッサンには目標があり、デッサンを学ぶことはその目標を目指すことになります。その目標を簡単に言えば「描けるようになること」となります。

何を描けるようにするのか。例えば以下のようなことが挙げられます。

  比率:ものの正確な見た目の形

  質感:ものの材質(紙とビニールを描き分ける)

  空気:ものとものの間、広がり

  重力:ものの重さ(綿菓子と鉄アレイ)

  位置:ものがある場所

  空間:水平、垂直、平行

  光 :濃淡

  透明:目に見えないもの(ガラス、水)

  調和:お互いの関係、バランス

  生物:生きているものの特徴、肉体の塊とつながりや流れ


これらは私が思いついたものから順に書いただけです。実際は一つずつ完全に分かれているわけではありませんし、難易度順に書いたわけでもありませんので注意してください。これらの項目は「存在」を表現するための最低限の方法となります。デッサンを学ぶことでこういうことを描けるようになります。

美術系の学生はデッサン画を比較され、「これができるようになった」とか「まだここが描けていない」などと評価されています。デッサンで描かれる絵は、個人の進捗状況を示す、単なる「目安」でしかない、と言っていいかもしれません。


具体的なデッサンの描き方は本や他のホームページなどでもたくさん紹介されているのでやめておきます。ここでは少し違った話をしましょう。

▼目と手
デッサンに対する私なりの解釈を話します。(といってもそんなに斬新なことではありません。当たり前すぎてほとんど指摘されなかっただけです。)一言で言うと次のようにこうなります。

デッサンは「ものを見えるようにすること」と「体を動かせるようにすること」。

前回「立体」は色の濃淡で描き表せると説明しました。しかし絵を描くのにこれだけでは不十分です。上の囲み記事にあるように、例えば、ものの材質や重量感も描き入れたいところです。それらを表現するには、細かい差異を見分ける目と、それを実際に描き分ける方法を身につけることが必要になってきます。

これはギターやピアノの調律のようなものです。全ての弦がそろった時、はじめてお互いが響き合い、心地よい和音が出ます。絵もこれと同じで、一枚の絵の中で、全てのバランスが取れた時、ピタリと出来上がった感じがします。これが「デッサンに狂いのない絵」となります。

この技術はそう簡単に見に付くものではありません。上で書いたように何枚も何枚も脳と体を振り絞って描く必要があります。デッサンは目と手の忍耐力をつけるための訓練と言えるでしょう。

▼身体のために
「体を動かせるようにすること」の説明をします。

デッサンを学ぶと色々と絵画の技術が上がります。これは「身体機能が高まった」からなのです。

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絵を描くことは、物を目で見て、体を使って平面に表現することです。ならば絵を上手く描くためには、目と体を機能upすればいい、と考えられるはずです。絵の専門学校ではこうしてこの訓練=デッサンを一番最初に行います。

これは、運動部に入ると初めにランニングや腕立て伏せなどそのスポーツとは直接関係ないことをするのと同じです。

目に見える事と描いたものの確認や評価をし、体(特に手と指)はひたすら表現する。そしてまた目で見て自分で確認することをくり返します。絵が完成するまでこのサイクルが続ける習慣が身に付きます。

▼見てない
「見えるようにすること」の説明をします。

これは、「私たちがこの世界やそこにあるものを全然見ていない」と自覚することから出発します。実際、普通の人の「自分はきちんとものを見ている」という錯覚が、絵を上手く描けなくしている大きな原因となっています。前にもお話ししましたが、ものを目で見ている状態は(特に意識しなければ)各部分に焦点を合わせ、それらをつなぎ合わせて出来た映像を見る状態になります。視点の意識を一か所に長くとどめておくことは、訓練していなければなかなか難しいことなのです。

先日テレビで、ロンドン五輪に出場が決まったエアピストルの選手の実験が行われていました。それは、遠くの的の真ん中、五百円玉くらいの黒丸に、どれくらい長く視線を保ち続けることができるか、という実験でした。比較対象として出たテレビ局のレポーターは、真ん中どころか的のあちこちに視線が動いてしまっていました。しかしその選手は全くぶれず、長い間視線が真ん中にとどまっていました。

ピストルを正確に撃つためには、呼吸や腕や指の訓練も必要でしょうが、こういった眼球の動きの制御も大切になってくるのでしょう。

何が言いたいかというと、デッサンもこれと同じだということです。

絵を描く前に物がよく見えなければなりません。それは物の区別がつく、違いが分かると言うことです。物の表面の差が見えるようになるため、絵とは直線つ関係の無い訓練の一つがデッサンでもあるということです。

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以前ものの表面をありが歩くような速度見る〜という話をしました。これは眼球の周りの筋肉の微細な動きです。
視線を丸で時計の歯車が針を動かしているがごとく移動させます。また、前後に焦点を合わせていくには眼球の中の水晶体の厚みを変え続けるなど言葉にすると嘘みたいなこともします。デッサンをやり続ければ自然とそのようなことは身についてしまうと言うことにすぎませんが…。

▼体の制御
「動かせるようにすること」の説明をします。

デッサンでは、正確でぶれの無い、思った所に思った通りの線や点を描くための筋肉をつけます。その訓練として、何千何万回と手指を動かし、鉛筆や筆で線や点を実際に描いていきます。

「円弧を描くときの例」で具体的に肉体の動きを見てみます。体の各部分の動きに注目すると、小さなものから壁に描く大きな円弧まで、体の可動間接の視点を変えることで描くことができます。このとき、一支点のみ利用し、他の支点間接は動かさないように練習します。

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やってみてわかるのですが、これは体の余計な所に力がかかっているとうまくいきません。(皆さんも試しにこの動作をやってみてください。)このようなことは特に習うわけではありません。デッサンをすることにより無駄のない体の使い方が自然にわかってくるという話です。

▼体が大事
絵を描く話で「自由に」や「心のままに」という言葉がよく出てきます。この「自由」が頭でわかっていてもなかなか実現できないのです。指や手や腕や目を動かす訓練をしていないと、自分では自由に描いているつもりでも小さな範囲での繰り返しに終始してしまうことが多いのです。

舞踊と同じで、足が上がる、体から指先まで良く反るなど体中の関節が柔らかく制止したり動いたりする能力が高いほどより多様な表現ができるのです。まず体をほぐし各部分の連携をスムーズにして…しながら踊りの形を覚えていくと思います。

デッサンをすることで、描ける幅が増える、と言えるかもしれません。

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このように書いてみると、「デッサンは必須であり、これを学ばないと絵が描けない」と主張しているように思ってしまうかもしれません。しかしそれは全くの錯覚です。デッサンを学んだことによって起こる「ある変化」について、次回語ります。
(今回はまだ話の途中です。デッサンに対する判断を早まらないように願います。しばらくお待ちください。)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
デッサンの話面白いですねぇ。「デッサンを学ばないと絵が描けないわけではない」・・・・・う〜〜む、次回が楽しみです。
マミケン
2012/09/20 17:19
「デッサンがすべて」みたいな19世紀末のパリのサロンにおいて、アンリルソーの絵など市民たちの嘲りの対象でしかなかった。ただ彼は「私の絵は最高だ」と信じ、無審査のアンダパンダン展に出品し続けた。貧しい画家の集まる場末アトリエ下宿屋「洗濯船」で、ひとり彼の絵を認めていた画家がいた。彼の父は美術教師で彼は子供時代から大人以上のデッサンができた。スペインバルセロナから来た若者の名はパブロ・ピカソと言った。

ルソーが裁判ざたになり、無罪になったお礼に裁判長の肖像画を描きたいと言ったら、裁判官はそれを断ったと伝えられている。生前彼の絵が売れたのは数点だったはずである。ゴッホも1点だと聞く。

今、彼らの絵はいくらだろう?時代とはそういう物なのだ。
マミケン
2012/09/24 13:40

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